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第三回全日本民医連青年社保セミナー

2014年12月25日

皆さんこんにちは。

今年はまだ12月だというのに雪の日が多いですね。お風邪などひかれないように暖かくしてお過ごしください(^^)

 

さて、大忘年会の熱気もそのままに、私は12/9~11の3日間、全日本民医連青年社保セミナーに参加して来ました。

内容は、熊本県水俣市における水俣病の過去と現在についての学習と全国の民医連職員との交流研修です。これは昨年、ドレミ薬局の若手事務minamiさんが参加したものと同じ内容でしたが、好評だったようで今年も開催されました。

参加前は、初めての出張とほぼ初めての社保研修にドキドキしていましたが、振り返ってみると非常に勉強になった3日間でした。

 

 研修の目的や行程などは昨年(201310月の記事をご覧ください!)と同様なので割愛させて頂きますが、今回の研修を通して私の最たる感想は、あまりに知らないことが多かったということでした。

学生時代の授業などで習って「水俣病」という言葉は知っていましたが、過去の、年表の中の出来事としてしか認識していませんでした。

水俣病の概要は、皆さんもご存じの通り、チッソ株式会社(元日本窒素肥料株式会社)がアセトアルデヒドの製造段階で生じるメチル水銀を排水として海に放出したことによる海洋汚染が原因です。その汚染された魚介類を摂取したことやその母体の胎盤を通してメチル水銀を身体の中に取り込んでしまったことで起こる様々な障害の事を総称して「水俣病」と呼んでいます。

当時、魚が大量に海に浮かび上がって来たり、猫が踊り狂って死んだり、人が叫び声をあげながら痙攣したりといった異常な現象が街のあちこちで起きていたそうです。しかしながら原因が分からなかったため、罹患者は伝染病や奇病扱いされ偏見・差別に苦しめられたそうです。

 

水俣病が公式認定されたのは1956年の事です。考えてみれば当然ですが、事が起こってそれで終わりではなく、被害に遭った方々が生活していくための補償を求める裁判や治療が60年近く経った今でも続いているそうです。

裁判でチッソ・国の責任は認められましたが、対象患者が予想外に多かった為に、行政の都合で水俣病の認定基準が年代や地域で限定されてしまい、実際には症状があるのに認定されず補償が受けられていない方が今でも沢山おられるそうです。

今回ご講演や市内を案内して下さった現地関係者の方々も、感覚障害など水俣病の症状があると言われとても驚きました。ご自身も症状を抱えながらも、水俣病患者さんは元より、症状があるのに認められていない患者さんの救済のために戦っておられました。

民医連も参加している水俣病健診実行委員会では現在でも、未だに国の補償を受けられていない水俣病患者さんの掘り起しの為に健診活動を行っています。2014年度は先月の1123日~24日に水俣病大検診が実施され、数百名の患者さんが受診されています。こうした活動に粘り強く取り組むことが、すべての水俣病患者さんの救済につながっていくのではないかと思います。

また水俣の海は、今ではサンゴもいるほどに綺麗になっているそうです。市民の方々が皆意識高く環境保全に取り組んでおられる成果だと思います。

 

講演者の方がおっしゃっていましたが、公害病は天災ではなく人災です。人災を防げなかったのは、人命よりも企業や国の利益を優先したことが原因でした。

同じ過ちを繰り返さない為にも、今回のセミナーで学んだ真実を受け止め、この出来事を風化させないようより多くの人に伝えて行かなければならないと感じました。

私自身は今まで民医連としての活動に取り組む機会はあまり多くなかったのですが、もっと民医連職員であるという認識を持って、今後はより積極的に患者さんに寄り添った医療を実践できるように取り組んでいきたいと思います。

 

chika

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